私の訪問したタイの都市、地域、島紹介(1)ナコンラチャシーマー

タイの地誌

東北地方(イサーン)の入り口、
日本でイメージすると、私のイメージでは、
長野県の松本市、もしくは、郡山市(会津若松含む)。

いずれも、山間地、大地への入り口で、交通の要所。
昔は、敵を防ぐ要地でもあった。
日本では城があり、タイでは砦があった。

ナコンラチャシーマー
以前タイ語のところで紹介した様に、
ナコンは都市、ラチャは国王。


 
ナコンラチャシーマー県、ナコンラチャシーマー市のイメージですね。
国王直轄の守りの要の都市ですね。
バンコクから北東に260km、アユタヤからは東北東に約200kmくらいですね。

面積は何と約20000km2あり、日本最大の岩手県(約15000km2)よりも大きい。
人口は約260万人あり、結構大きな県ですね。(人口では京都府、広島県くらいですか?イメージ)

但し、ナコンラチャシーマー市の人口は広域で約50万人で、日本の地方の
県庁所在地並みですね。
でも、タイでは、バンコク一極集中で、タイでは、3位のチェンマイよりも大きく、タイ第2の都市ですね。

タイの人達は正式名よりも別名「コラート」をよく使います。
「ナコンラチャシーマー」と「コラート」はほぼ同じと思ったらいいですね。
覚えておくと便利です。

歴史ですが、ウキペディアから引用させて頂くと、

現在のナコーンラーチャシーマー市とされる城壁に囲まれた新しい都市は、17世紀頃にアユタヤー王朝のナーラーイ王が、朝貢関係にあるラオスやカンボジア諸侯の監視と国境地域の警備のため、王国東端に当たる同市を軍事拠点として建設したのが初めとされる。

1826年、ラオスのヴィエンチャン王国最後の国王アヌウォン王がラーマ3世に反旗を翻し、イーサーンを侵攻した際にナコーンラーチャシーマーは一時陥落するが、東方を守護する軍事拠点都市としての位置づけはラタナコーシン朝においても引き継がれた。

実は、ナコンラチャシーマーのシンボルは、この時に国を守るため戦った有名な女性です。
街の各所に銅像、記念碑など沢山あります。

名前はターオ・スラナーリー(AD1771–1852)。ナコーンラーチャシーマー地方の副国主の妻で、
前述の1826年頃にラオスのヴィエンチャン国のアヌ国王がラーマ3世に反旗を翻し攻めてきたときに、
この女性が先頭に立ち、勇敢に撃退したそうです。
(フランスのジャンヌダルクの様ですね)

私の頭には、
この女性の闘う銅像とこの街で買ったシルクのネクタイが印象に残っています。

又、近くには、カンボジアのアンコールワットのモデルになったと言われる、クメール遺跡が
あります。ピマーイ遺跡です。昔は、ここから、一直線で、アンコールワット(カンボジア)につながる道があったそうです。機会が有れば、是非探索してみたいですね。
遺跡の好きな人には、タイは外せません。

今日のジュディは、クラドゥーク(骨)と格闘しています。

ムチュー

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日本で定年退職後、タイと日本の往復、8年目になる男性です。 また、タイへは、過去に仕事とプライベートで何回も来た経験があります。 しかし、タイ人の居住区に住...

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